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 入所してから泣いてばかり居た彼の周りに、病棟の仲間が或る人は這って、或る人はよろけながら、或る人は車椅子で集まってきた。彼のベットに行けない人は手招きして看護士に彼を自分のベッドに連れてくるよう頼んだ。彼に笑顔が戻った。男の人や白衣の人は怖かったのに、今では抱っこをせがむまでになった。彼は抱っこが大好きだったのだ。
彼も 心の住処(すみか)を見つけた。
 ある女性の友人の母親が突然お亡くなりになった。その女性の4歳になる娘さんは、勿論その方にお会いしたことはない。しばらくたったある日。聖母マリア像の前にひざまずいて、その娘は声を出してお祈りしていた…‘ママのお友達のお母さんをお許しください........お許しくださってありがとうございます’と。 その娘はその方の生前、人間なら冒してしまうであろう罪の許しを乞うたのだ。このお話を聞き、私は感動してその場を動けなかった。私は患者様のために、此れ程純粋に祈ることができただろうか。祈らねば居られぬほどに、患者様のことを考えているだろうか。

 私は患者様の心の住処(すみか)への案内人に成れるだろうか。 いや、 成らねばならぬ。この ”みこころクリニック”が皆さんの第2の心の住処になれますように。       

9 décembre 2012

院長 拝

 

 親切で慎み深くありなさい
 あなたに出会った人がだれでも
 前よりももっと気持ちよく
 明るくなって帰れるようになさい。  マザーテレサ

    心の住処(すみか)

 

 大阪市西成区三角公園のすぐ傍に小さなグループホームがあった。所長が身寄りなく寄る辺の無い人々に声をかけ入所させていた。勿論、今流行の貧困ビジネスではない。彼女(所長)の入居者に対する愛情は特筆すべきものがあった。彼らとともに泣き、笑い、怒り、心配し、そして何よりも彼らのことを愛していた。彼女は西成のマザーテレサだと私は思っている。入所した当初の彼らは路上生活の気ままさを続けたがり、入所者同士の喧嘩も絶えなかった。所長初めスタッフの愛情に触れ、彼らは変わった。若い頃にやんちゃをして家族にも見放され、入所している老人がいた。彼は頻繁に問題を起こし、 家に帰りたい、息子の所に行きたい、ホームを出たいというのが口癖だった。或る時、彼の体に黄疸が出た。検査の結果、胆嚢癌で転移もしており、手の施しようが無い状態であった。大病院の医師は本人と所長に告知をした。二人は手を取り合って泣いた。涙も枯れるばかりに泣いた後、彼は言った。このホームで看取って欲しいと。 どこにも行きたくないと。 彼は心の住処(すみか)を見つけた。

 重症心身障害児施設というものがある。先天性の疾患、事故による障害など様々な原因によって障害が幾つも重なり、ケアを要する患者様の施設である。入所したときは小児であったのだが今では50歳代になっておられる方も居る。ある日、4歳の可愛い男の子が入所してきた。 片目は義眼で、先天性の肺障害も併せ持っていた。過酷な病気の上に彼は父親による虐待にあった。虐待による脳出血後遺症のために入所となったのだ。

 

 

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